リアル・ペイン 心の旅
Image may be NSFW.
Clik here to view.
ジェシー・アイゼンバーグ。
Facebookの生みの親の素顔を描いた「ソーシャル・ネットワーク」で、早口陰キャキャラを確立したかと思えば、イリュージョニストとして壮大な大どんでん返しを見せた「グランド・イリュージョン」、ゾンビネタあるあるで笑わせまくった「ゾンビランド」など、割かし小さな体にも拘らず、多彩なキャラを演じてきた俳優です。
まだ20代くらいかと思ったらもう40代なんですね!
やはり次のビジョンを明確に持っているのか、俳優業の傍ら監督業にも精を出している様子。
今回観賞する映画は、そんな彼の監督作第2弾。
自身の家族のルーツがポーランドにある事から、本作を作るきっかけになったそうで、40代を迎えた彼が「旅」をテーマに物語を作ったそうな。
同年代である彼が製作した物語を通じて、自分が何を思うか。
そんなことを考えながら早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
「ソーシャル・ネットワーク」でブレイクし、「ゾンビランド」や「グランド・イリュージョン」シリーズなどで看板俳優を背負い、「僕らの世界が交わるまで」で監督デビューを果たしたジェシー・アイゼンバーグが、ポーランドの歴史を巡る旅をテーマに、脚本・製作・監督・主演を務め、第40回サンダンス映画祭でウォルド・ソルト脚本賞を受賞した意欲作。
最愛の祖母の死をきっかけに数年ぶりの再会を果たした正反対の性格の従兄弟と共に、祖母のルーツであるポーランドを旅しながら、40代を迎えた二人が「生きるしんどさ」に向き合っていく様を、ユーモアたっぷり交えながら人生の葛藤を描く。
ポーランドにルーツを持つ監督は、妻とポーランドを訪れたことを物語に組み込み、ポーランドとユダヤ人の関係に対する自身の考えや、強制収容所での撮影にも成功するなど、シリアスな面も生みつつ、正反対のバディ・コメディを作り出した。
そんな彼が地に足着いたNY在住のユダヤ人の役を、そして「メディア王〜華麗なる一族〜」でゴールデン・グローブ賞、エミー賞をW受賞したキーラン・カルキンが情熱的且つチャーミングだが時折危うい面も垣間見える従兄弟の役を演じる。
他にもNetflixドラマ「Giri/Haji」で英国アカデミー賞テレビ部門助演男優賞を受賞した、日英ハーフの新鋭ウィル・シャープ、「ダーティ・ダンシング」「フェリスはある朝突然に」で知られ、ゴールデン・グローブ賞にもノミネートされたジェニファー・グレイなどが出演する。
参加したツアーでの新たな出会いや行く先々で揺れ動く感情、正反対同士の2人がこのたびで得たものと、現地の人々の笑顔の裏に隠された「本当の痛み」とは。
あらすじ
ニューヨークに住むユダヤ人のデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(キーラン・カルキン)は、亡くなった最愛の祖母の遺言で、ポーランドでのツアー旅行に参加する。
従兄弟同士でありながら正反対の性格な二人は、時に騒動を起こしながらも、ツアーに参加したユニークな人々との交流、そして祖母に縁あるポーランドの地を巡る中で、40代を迎えた彼ら自身の“生きるシンドさ”に向き合う力を得ていく。(HPより抜粋)
感想
リアル・ペイン~心の旅~観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) October 30, 2024
正反対の従兄弟同士が祖母の故郷でツアーに参加するロードムービー。ユダヤの歴史は正直よく知らないが、彼らを通じて痛みや苦味に寄り添うことはできる。キーラン・カルキン無双、鳴り響くピアノの名曲たちが映画に奥行きを与える。ジェシー監督の潔い編集も良い。 pic.twitter.com/zzKk4HHMmJ
先人たちの痛みと、近しい人の痛みと、僕の痛み。
其々が抱える苦みを、ちょっとでも紐解けたら、心が軽くなった。
ジェシー・アイゼンバーグ監督の編集と演出がものすごく効果的。
ホロッと泣けて、クスッと笑えるビタースイートなロードムービーでした!!
以下、ネタバレします。
ユダヤ人の歴史をあまりよく知らなくても。
義務教育における世界の歴史や日本の歴史に関しては、たくさん勉強したこともあって記憶にあるが、細かい歴史に関してはあまり知らない。
特にユダヤ人の歴史に関しては、特に。
もちろん最低限のことはわかっている。
ナチスがポーランドを侵攻し、ユダヤ人を迫害したことくらいは。
しかし「ゲットー」の意味とか、武装ほう起した歴史など、はっきり言って知らなかった、というか、覚えてなかった。
あの時途轍もないほどの規模のユダヤ人が、何の罪もなく迫害され、それに抵抗した経緯などは、よくわかっていなかった。
何にせよ、今のユダヤ系の人たちが生きているのは、彼らが必死で「生きながらえよう」とした結果だということ。
それは、自分にも当てはまることなんですよ。
自分のおじいちゃん、ひいおじいちゃん、ばあちゃん、ひいおばあちゃんが、あの戦争の最中を必死で生き抜いたからこそ俺たちがいるってことを、本作を通じて身に染みたわけです。
あらすじをすっ飛ばして何いきなり感傷に浸ってるんだよってツッコまれてもおかしくないんですけど、映画的にもすごく優れた技術で描かれている以上に、まずは本作を見て何を感じたかってことをね、記したかったわけですよ。
何故俺たちはこうして生きているのかってことを。
それは先人たちが必死で生きたからだぞと。
日本だってあれだけ大変なことがあったわけですよ。
つい最近も未曽有の危機が起きたわけですよ。
また、俺たちは決して「移民」ではなく、この島国でずっと生きてきたわけだから、他の人種に比べたら、今俺が感じている感情は大したことないかもしれない。
それがユダヤ人だったらって考えると、とんでもない奇跡だぞって話なんですよ。
キーラン・カルキン無双。
物語は、ツアーに参加する前、空港で落ち合うデヴィッドとベンジーから始まります。
デヴィッドはどこか心配性な面があり、ベンジーはどこかケセラセラな感じ。
そんな正反対の2人が、祖母の故郷を訪れ、ワルシャワゲットーのツアーに参加していくってのが物語の始まり。
ベンジーがギリギリ相手を傷つけないレベルのトークを始める毎に、いつもヒヤヒヤしたりこっそり謝っているデヴィッド。
如何にも分かりやすい関係性の中、老夫婦や中年女性、ルワンダ虐殺を経験してユダヤ教に入信したという変わった青年らと共に、各所を巡っていくのであります。
当初は意気揚々と「ツアー」そのものを楽しんでいたベンジーでしたが、徐々に様子がおかしくなっていくんですね。
特に特急列車の「1等席」に座って昼食を摂っていると、イライラし始めます。
先人たちの歴史や痛みを感じながら、ルーツを噛みしめているのに、何故俺たちはこんなに優雅にくつろぎながら旅をしてるんだ?
本来なら俺たちは、ナチスに隠れて列車の荷台に乗って、息を潜めて脅えながら旅をしなくちゃいけないんじゃないのか?
そうしなければこの旅の意味がない。
などと、妙な正論を言い始めます。
他にもツアーコンダクターが、ユダヤ人たちの墓の前で、淡々と歴史的事実を語っていると、突然物言いを始めていくわけです。
劇中でも言及してましたが、いつからか「旅」は貧乏人のモノではなく「富裕層」のモノになってしまってる現状があります。
実際二人が遠路はるばるポーランドへやってきたのも、デヴィッドが資金を立て替えたからできた旅。
しかもちゃんとしたホテルに、ちゃんとした1等車ときたもんだ。
参加者も人生をリタイアした夫婦に、バツイチでバブリーな格好の女性など、とても貧困層とは思えない。
先人たちの歴史に触れても、どこか「他人事」になってないかとベンジーは疑問に思うわけです。
この旅はもっと彼らに寄り添って、彼らの痛みを感じなくては意味がないのではないかと。
ただただ事実を入れるだけなのは作業と変わらない、優雅に旅をしても意味がない。
もっと彼らに寄り添ってこそ、先人たちの歴史を感じられるのではと。
デヴィッドはこのようなベンジーの発言にオドオドしっぱなし。
だけど気づけば彼の言動に皆が従ったり、彼が醸し出す空気に皆が呼応していくのです。
観賞しながらデヴィッドに同情しつつも、ベンジーの言ってることは非常に芯を突いたことを言ってるなと自分でも感じたんですよね。
バカンスで来たわけじゃないだろう、今私たちがこうして豊かに暮らせているのは、自分たちの祖父や祖母が、必死こいてアメリカに渡り、貧しいながらもなんとか知恵を振り絞ってきたからこそだろうと。
そういう恩恵を受けた自分たちが、一瞬だけしか痛みを感じないのはおかしくないかと。
ホントっすよ。
どれだけの修羅場をくぐってきたのか、それがどれだけ奇跡的なことだったのか。
僕らは「移民」ではないから、先人が背負ってきたもの、背負わされたものってのをしっかり理解してないけど、ベンジー演じるキーラン・カルキンの芝居によって、めちゃめちゃ「わかった」気になってしまう。
それくらい輝いてましたね。
ぶっちゃけ彼のこと知らなかったんですけど、調べたら「ホームアローン」のマコーレ・カルキンの弟さんらしいんですよ。
確かに言われてみればどことなく似てる雰囲気で、個人的にはダニエル・ラドクリフにも見えるというか。
少々目が座ってるような表情で旅を続けるんですけど、基本的には騒がしい存在。
上でも書いた通り、ツアーのグループの常に中心的存在として位置し、問題発言をしたかと思えば寛容的な仲間に歓迎され、心配していたデヴィッドの気持ちなんて明後日の方向に行ってしまうほど、皆と打ち解けてるんですよね。
デヴィッドも早口ですけど、ベンジーもめちゃ早口。
ぶあ~っとまくし立てて相手の芯を食うマウント的な発言をしては困らせるけど、ツアーそのものの意義を一番噛みしめて行動したり喋ったりするから、感情も渋滞。
そうしたキャラクター像をキーランが見事に表現してるんですよね。
それこそ学校のクラスにひとりいるでしょ?浮いた奴w
何かと騒がしくい癖に一丁前に正論こくような奴w
ベンジーってそういう存在。
でもそんな奴にも色々事情があるっていうのが後半で少しずつ明かされていきます。
痛みを知ることと寄り添うこと
それまでベンジーの影に隠れていたデヴィッドが、ベンジーのことについて語るシーンが描かれていきます。
どうやら彼は睡眠薬を過剰摂取して命を絶とうとしていたことが明かされます。
原因は正直わからない。
最愛の祖母が亡くなったことが原因なのか、それとも仕事に中々つけないこととか、メンタル的なこととか。
なんにせよそんな奴が、デヴィッドの心配をよそに、勝手気ままに自分の知らないところでみんなと仲良くしてる姿がなにより腹立たしい。
デヴィッドも平凡な人生を送ってるかと思いきや、実は強迫性障害を患っており、ベンジーが何かしらやらかす度にヒヤヒヤして仕方ないのです。
先に帰って寝ている最中に帰宅したベンジーの様子を窺っていると、すぐさま外に出る始末。
一体彼はどこへ行ったのか。
留守電に入れてもメッセージがパンパンのため連絡が取れない。
そう、どんどん心配して眠れなくなってしまうのです。
気が付けば疲れて寝落ち、スマホの充電も切れてしまっており、朝方ベンジーに起こされる始末。
それまでキーラン・カルキン無双だった前半、鳴りを潜めていたジェシー・アイゼンバーグの見せ場が後半映し出されるのであります。
そうした物語の中で何を伝えたいのか、それは「痛みを知ることとそれに寄り添うこと」だと思うんです。
誰でも人生痛みや苦しみはつきもので、その度合いも人それぞれ。
ベンジーもデヴィッドも痛みを背負って生きてきた中で、祖母が如何にしてこの街から抜け出し、ニューヨークへ渡ったのかを知りつつ、この旅を通じて互いの痛みを知りながら理解し合あい、寄り添っていくのです。
その結果、彼らは祖母が住んでいたアパートに、ユダヤ人のお墓でやった時のように讃える意味を込めて「石を置く」のです。
しかし近隣の住人から苦情を言われることに。
でも現地の言葉で何を言ってるかわからない。
息子が翻訳すると、「君たちのやりたいことはわかるけど、玄関でお婆ちゃんが転んだらどうするんだ」と言われ、軽く茶化しながらも近隣の住民の言うとおりに、石を持って帰るのであります。
痛みを理解し痛みに寄り添うことができるのであれば、他者にも優しくできることに繋がるということなのでしょうか。
そういう意味でこの旅は彼らにとって、非常に有意義で価値のある旅だったに違いありません。
空港に着けば、二人はしっかりとハグして別れを告げます。
そもそもデヴィッドが出資して提案しなければ実現できなかった旅。
昔一度だけ祖母にビンタされた経験を持つベンジーが、なぜか最後にデヴィッドにビンタされてしまうというユニークなシーンが映し出されますが、それもまた「リアル・ペイン」だったりするってことなんでしょうかw
最後に
こうやって書くと結構シリアスな話に聞こえるかもですが、しっかり笑いも見せてくれます。
列車内、疲れて寝てしまったデヴィッドを敢えて起こさずにしたことで、見事にみんなとはぐれてしまうシーン(これどうもプロデューサーのエマ・ストーン発案らしいです)や、武装ほう起したユダヤ人兵士の像で、ベンジーに釣られてみんなでポーズしてしまう、それを全員分のスマホで撮影しなきゃいけないデヴィッド。
他にも細かい箇所で可笑しみ溢れる描写が多々あるので、非常に心地よく見ていられます。
心地よく、といえば、本作はショパンのピアノの曲で統一してるんですね。
音質に関しても鍵盤の音がしっかり響くように鳴っており、ポーランドの景観も相まって、映画そのものが豊かなモノになっていたような気がします。
・・・なんだ豊かなモノってw
あれだ、その~見ていて心が満たされていくような多幸感とでも言いましょうか。
その上、ジェシー・アイゼンバーグ監督のテンポある編集が物語にリズムを与え、90分という尺で締めるのもさすがでした。
おそらくこの手の物語、空気感もですけど、120分の尺だと絶対ダレる。
早口なキャラだからこそ、この尺という見事な英断だったと思います。
まだ彼のデビュー作を見ていないのでどれだけ監督としての腕があるかはわかってないですけど、中々できる人だなと。
とにかくサーチライト設立30周年に相応しい、良質なインディペンデント映画だったと思います。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10