エミリア・ペレス
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第97回アカデミー賞で最多12部門11ノミネートという大本命にもかかわらず、主演女優の過去のヘイトスピーチとうまくない火消しにより、助演女優賞と歌曲賞しか受賞できなかった本作。
ジャック・オーディアールは1,2作程度しか鑑賞してないし、フランス映画自体肌に合わないので、そこまでの期待はしておりません。
しかし予告編のミュージカル映像を見て「あれ、ちょっと面白そうかも」と変化。
海外では麻薬カルテルに対する描き方や「メキシコの話なのにメキシコ人おらんやん!」と物議をかもしてるようですが、あくまでフィクションですし俺はそういう批評はあまりしない人なので、物語が面白いかどうかで判断したいと思います。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
本年度ゴールデングローブ賞では最多4部門受賞、アカデミー賞では作品賞含む最多12部門で13ノミネートを果たし、見事助演女優賞と歌曲賞を受賞した、異色のミュージカル・エンターテインメント。
女性として新たな人生を手に入れたメキシコの麻薬王によって、彼女を取り巻く女性たちの運命が大きく変わってく姿を、破天荒な設定やジャンルを超えた物語性、さらに歌と踊りを加えた、全く味わったことのない魅力に包まれた作品。
カンヌ国際映画祭にて出演した4人の女優に「女優賞」が与えられた本作。
「ディーパンの闘い」や「ゴールデン・リバー」などで世界の映画賞を数多く受賞したジャック・オーディアール監督は、本作のはじまりが「オペラ用の台本を書いてみた」ことからだそう。
また麻薬王が性別適合手術を受けるというアイディアは、とある小説の設定からインスピレーションを受けたものだそう。
さらに男性優位社会の頂点に立つ人物が、なぜ女性になりたい願望を持つのかという「ある種の矛盾」に、どう決着をつけようか考え物語を作ったとのこと。
そんな女性へと変貌を遂げた麻薬王マニタス改めエミリア・ペレス役を、スペインのトランスジェンダー俳優カルラ・ソフィア・ガスコンが演じた。
そしてマニタスから依頼を受けた弁護士リタ役を、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズ、「アバター」などで知られるゾーイ・サルダナが、マニタスの妻役を、「君と生きた証」、「スプリング・ブレイカーズ」のセレーナ・ゴメスが、エミリアの親友役を、メキシコの女優アドリアーナ・パスが演じる。
犯罪組織にありがちな家族の物語を映しながら、自分のありのままを生きたいと願うすべての人に贈る、魂を打ち抜く作品です。
あらすじ
弁護士リタ(ゾーイ・サルダナ)は、メキシコの麻薬カルテルのボス、マニタス(カルラ・ソフィア・ガスコン)から「女性としての新たな人生を用意してほしい」という極秘の依頼を受ける。
リタの完璧な計画により、マニタスは姿を消すことに成功。
数年後、イギリスで新たな人生を歩むリタの前に現れたのは、新しい存在として生きるエミリア・ペレスだった…。
過去と現在、罪と救済、愛と憎しみが交錯する中、彼女たちの人生が再び動き出す⸺。(HPより抜粋)
感想
#エミリア・ペレス鑑賞。マニタスという男とエミリアという女。性別が変われば心も変わるのかという話。エミリアの行動は赦しの様に見えて支配のように見える。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) March 28, 2025
普段見るミュージカルとは一風変わった演出で楽しめた。実質ゾーイサルダナが主役。 pic.twitter.com/Utt0smJhCR
これをミュージカル映画と括るのに悩むし、ノワール映画とも言い難い。
とはいえ、3人の女性の苦悩や葛藤を考えていくと、色々面白みは感じた。
性別を変えたエミリアが見た景色は変わったのだろうか。
以下、ネタバレします。
ミュージカルとしてどうなんだろう。
麻薬王マニタスから能力を買われたリタは、自身の環境を変えるため彼の依頼を受け奔走。
無事性別適合手術を手配し、マニタスの大切な家族はスイスに移住させ、麻薬王マニタスは社会的に死んだことにし、全ては終わったかに見えた。
しかし4年後、ロンドンでエミリアとなって再会したリタは、彼女から「家族と共にメキシコで暮らしたい」という依頼を受け、再び奔走する。
エミリアに人生を翻弄されるリタと彼女の元妻ジェシー、そしてエミリアが青春を取り戻したエピファニアは、彼女の人生と交差したことで何を失い何を得たのか。
・・・というのが要約したあらすじですが、本作を見て胸躍るような物語で無かったことに少々困惑した部分はあります。
そもそも今回期待していたのは「複雑なミュージカル」であるという部分から。
冒頭リタが裁判の書類を制作しながら夜の繁華街で踊ったり心情吐露を繰り返すシーンを見て、普段見るミュージカルとは違った雰囲気を持っていたことに驚きました。
歌の中にセリフが混在し、長回しで描くのではなく細かくカットを入れて描くやり方に多少の戸惑いはありつつも、普段特殊メイクばかりのキャラでしか見かけないゾーイ・サルダナの新たな一面を見れたのは新鮮でした。
特にリタの手の動きが時にしなやかに伸びたり、腕や肘、手首などを巧みに操り、リズムに合わせてさまざまなパターンを繰り出すタットダンスのような踊りで、細い体にもかかわらずそうした表現を見せるゾーイ・サルダナに魅了されたのは事実。
他にもエキストラが横行する中で一人佇みながらそうしたダンスと歌で、この状況から抜け出したい、悪い奴ばかりが得をすることに対する怒り、真実を明るみにするために就いた仕事に対する葛藤などが随所に現れており、リタのミュージカルシーンは非常に魅力的でした。
しかし、話が進むと確かにこの映画が奇抜なミュージカルであるというのがだんだん分かってくる。
簡単に言うと「ここぞという時がミュージカルになってない」ということ。
一人トイレで歌ったり、マニタスとの初対面、彼に頼まれて弾丸で飛んだバンコクの整形外科、慈善事業でのパーティーでリタとエミリアが歌う「El Mal」のシーンなど、歌い手が感情を込めて歌うというというよりかは、どこか愚痴を吐き出してるような歌い回しだったり、高らかに幸福を願ったり祈ったり放ったりするような歌ではなかったんですよね。
マニタスが歌うシーンでも、メロディラインが無くリズムに合わせて語るような歌で、リタに対して脅しのような内容になっていたし、マニタスの担当医師との面談では、互いが「変化出来ないことと変化出来る事」を対等な視点で歌いあい、最後は二人が別の歌詞を歌うというテクニカルな描写になっていました。
話が少し進んだところでこうしたミュージカルパートが挿入されるので、正直こんなところばかりで歌を始めないで、端折ってほしいなとも思ってましたし、そうした特に盛り上がりのない箇所で歌をやっておきながら、肝心なところで歌を歌わない部分が多く、歌だけ切り取れば楽しく思えたけど、結局次の話をしてくれと飽きてしまうことも多かったです。
また、全体的に後半は歌唱パートが極端に減っていて、完全にクライム映画と化してしまっているため、ミュージカル映画を制作するうえでの分配的な部分で非常に歪だったんですよね。
後半では女として欲望のままやりたいことを進めていくエミリアに、エピフォニアという恋人ができたことで、エミリア自身の喜びの歌が挿入されます。
他にもジェシーがグスタボという男性とカラオケを歌いながら、一人の世界に入りこんで熱唱するシーンや、ラストシーンでも葬儀の際に見送る歌として参列者が歌うシーンがありました。
ラストシーンはミュージカル的かと言われると複雑ではありますが、全く歌がないわけではないけれど、前半と比べると歌唱時間は比較的短く、際立ったシーンでもなく、ものすごく大掛かりなものでもないため、画力的には前半よりも見劣りが強かったです。
ジェシーが起床し、エミリアに監視されて生活を余儀なくされることに対して踊り狂うシーンは、自分の部屋と別の空間の部屋を交互に移動しながら歌って踊るシーンは印象的でしたが、正直それくらいしか良い箇所は見当たらず。
監督自身ジャンルという枠を壊したい思いがあったようなので意図は汲みますが、個人的にはそこまでハマることはなかったです。
3人の女性の視点から考える。
メキシコを舞台としたフランス映画という、既にこの時点で複雑な映画なんですけど、一体この映画が何を描きたかったのかを考えてみます。
組織に属さなければ生きる術がなかったマニタスは、王にまで上り詰めたことで幸せな家庭と莫大な資産を手に入れたわけですが、王が性別適合手術をしたなんてことが知れたらそれこそ命とり。
だったらいっそのこと人生を変える必要があるということで、エミリアになることに踏み切るわけです。
性別を変え別の人生を手に入れたエミリアでしたが、結局メキシコに戻り家族を自分の近くに置きたいという別の欲望が生まれます。
さらには行方不明者を探す家族の姿を見て心変わりし、行方不明者を探すためのネットワークを作って慈善事業に手を出します。
そう、麻薬王として散々悪さをしてきたのに、今度は人助けをしようと試みるのです。
これに関して「何様だ」なんて否定的な気分になる人もいるでしょう。
僕だってそりゃどうなん?とも思いました。
しかし人間、環境が変われば、立場が変われば、性別が変われば、色々心変わりはするもんです。
これまでの行いを省みて自分のためでなく誰かのためにしてみたくなるもんなんです。
でも、劇中で彼がマニタスの時に行ったことに対しての反省をする面は見受けられなかったんでんすよね。
全く別人になったことが言い訳になってるのか、本当にしたかったことをしたいといって事業を始める。
何と都合のいい話か、とは思います。
しかも彼女の場合、全編通して「支配」という言葉が透けて見えます。
一般的に考えたら、別の人生になったのであれば、それまで付き合っていた人と連絡や関係を絶って生活した方が、リスクは少ないと思うんですよ。
だって過去を知られちゃってるから。
なのに本当の自分を唯一知っているリタを再び呼び寄せて故郷に帰って、一度手放した家族ともう一度暮らすって、結局未練ありありなんだなと。
リタだってマニタスのおかげで新たな人生を手に入れた恩はあるから、断れない仕事だとは思うけど、事業の手伝いまでする必要ってあったんだろうかと。
劇中でリタも「40になって恋人もいないやりたい仕事もある、ここでずっとこうしてはいられない」と語っていた通り、結局マニタスが組織を牛耳っていたようにエミリアもまた自分にとってそばに置きたい人物を拘束しちゃってるんですよね。
一番犠牲に遭ったのはジェシーでしょう。
マニタスが女性になりたい気持ちが強くなってきたと思われる時期に、ジェシーは淋しさを覚えたと語っています。
きっとその頃にグスタボと出会ったんでしょう。
そしてマニタスが死んだことで淋しさを生めるようにグスタボと仲を深めたんでしょう。
スイスに移住しても思いを寄せていたのは彼でしょうし、彼もずっと待っていた。
にもかかわらず、マニタスの遠い従姉妹というだけでメキシコに戻され、ある種監獄のような場所で暮らし、エミリアにプライベートなことまで根掘り葉掘り聞かされる。
リタもジェシーもエミリア・ペレスという女性のせいで、せっかく違う人生を送れるチャンスがありながら支配下に置かれてるんですよね。
確かにエミリアは見た目は変わった、でも心までは変わってないことが描かれてるんですよね。
そういう側面があった一方で、終盤はエミリアがジェシーとグスタボによって拉致されるというショッキングな内容に。
全てを知るリタは何としてでも彼女を取り戻したい気持ちが芽生え、エミリアから真実を聞かされたジェシーは、自分した行いに愕然としグスタボの行動を阻止しようと試みます。
結果、彼女に支配され人生を翻弄されながらも、彼女なしでは辿りつけなかった思いに駆られていくという物語になってたのは意外でした。
ただでさえ物騒と聞くメキシコの治安。
政治家も官僚も警察も全てカルテルと繋がり買収され、悪い奴らが蔓延っている現状から、誰もが抜け出したいと思ってるだろうし、それらによって愛する人を失っている人もたくさんいることが、本作から透けて見えてきます。
その中でマニタスという性別に対して違和感を持っていた男は、どうすれば欲望のまま生きることができるかという葛藤を秘めながら、決断して実行し成功をおさめていく物語で、彼女が遺した功績は、エピフォニアによって継がれていくのだと考えると、色々議論の余地はあるにせよ、戦いの続きを見守りたくなる作品だったのではないでしょうか。
最後に
仮にリタがエミリアからの依頼を断っていたらどうなってたんでしょうね。
やっぱりマニタスとしての本性が現れ殺されてしまったんでしょうか。
またメキシコに戻ったリタはかつての上司と再会しましたが、あれだけ悪い奴らが揃っている中で、リタがなぜ戻ってきたのか裏を探る奴らっていると思うんですよ。
そう、結局突然姿を消していなくなった奴が戻って来たら、普通疑うんですよ。
誰もそうしようと思わなかったんですかね?
リタに関しては成功を収めて戻ってきたわけですから。
元上司も後釜を探すの苦労したと思うんですよ。
そう考えた時に「何今更のこのこと姿を現して」なんて感情が芽生えてもおかしくないよなぁと。
エミリアもエミリアで、別にスイスで一緒に暮らすって手段もあったと思うんですよ。
何故メキシコに拘ったんでしょうね。
あと、どうやってあそこまで従順なメイドや部下を揃えらえれたんでしょう。
リタが呼んだ武装集団はエミリアの部下なんですかね?
しかし他国の人間によって描かれた他国が舞台の映画は、内側からは描けない映画という意味では収穫があるけれど、実際現地の人は本作に対して怒ってるわけで、その責任は大きいよなぁと。
結局本作はトランスジェンダーを使って、性別を変えれば全てが変わるのかってことを言いたいのかなと感じた作品でした。
根っこで育った「欲望」ってそう簡単に抗えない、変化するものではないというか。
僕は本作を「支配」が漂った映画と捉えている以上、エミリアの人間臭い部分の根幹に在るのはこの言葉だよなぁと思えて仕方ないので。
ある種画期的な作品でしたけど、あまりにも歪というか奇妙過ぎて、好きな箇所と受け入れられない箇所が混ざった不思議な作品でした。
ミュージカルパートがもっとアガる要素なってたら楽しかったんだけどなぁ。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10